昭和100年が暮れようとしています。


本年も格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございました。

当店は1月3日まで休業いたします。

ちょうど一年前に昭和99年が暮れていきますと書きました。
今年も昭和100年に絡めて、なんか書くことないかなぁと…
頬っぺたと歯茎の間に挟まったご飯粒みたいに気になっていた
あることについてのお話です。

1895年、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフという装置を発明、
以降動く映像はこの100年、世界各地でさまざまに記録されています。
やがて映像は娯楽としても発展を遂げ
映画やそれに続くテレビとして私たちの生活に深く浸透していきました。

昭和を舞台にした映画やドラマは数多ありますが、
そうした作品の中に描かれている、例えば映画館内のシーン、

観客が映画を見ながらどっと笑ったり、体をゆすったり、拍手喝さいしたり…
そんな場面に以前から私はある違和感を感じていました。

私は昭和43年の生まれ、私自身の映画館内の記憶は昭和50年代以降のものとなりますが、
「どっと笑う」「身体を揺さぶる」「拍手喝さい」
頭の中には?がいっぱい。
どれも記憶にございません。

日本人ってこんな反応するのかな?
これが私の感じる違和感の正体。

どうでもいいような些末なことがどうにも気になるたちで….

で、ちょっと調べてみたところ、どうやら映画が娯楽の王様だった昭和30年代の映画館って
笑顔や歓声、拍手なんかに包まれた空間であったらしいです。
1950年代の新聞には「映画館が騒がしい」「若者の熱狂の度が過ぎる」といった
ある種の批判記事が散見されます。

じゃあ、いったいいつのころから、なぜ、
映画館から、ああいう「無邪気な熱量」が少なくなっていったのか。

難しいことを言いたいわけじゃないんですが、
感情って、
「どこで」「どのくらい出していいか」
なんとなく空気で決まっているところがありますよね。

戦後しばらくの日本では、
映画館や街頭テレビみたいな場所は、
笑ったり驚いたり
周りの反応も込みで楽しむ、そんな感じ。

ところが、時代が進むにつれて、
街が大きくなって、人も増えて、
テレビは家で見るものになって…
公共の場所では
「静かにしていたほうが無難」
という空気が強くなっていったようです。

感情がなくなったわけじゃなくて、
出しどころが変わった、
そんな感じなんでしょうね。

ちょうどその頃、
世の中が大きく揺れた出来事もありました。
感情が増幅し分断を生み、暴力が日常に侵入する。
そんな経験を、社会全体がしていた時代。
日本に2度訪れた政治の季節。
一見何の関係もないようなこの出来事も、
日本人に感情の増幅に対してのある種の恐怖感を与え、
それを避けるために当たり障りのない会話を良しとする風潮を
育てていったのだという文章をどこかで読んだ覚えがあります。
「揉めない」「空気を壊さない」
そういう振る舞いが大人であるとされていったみたいです。

「飲み屋で政治の話はタブー」
なんて言葉もありますけど、
いつからそう言われるようになったのかは
調べてみてもわかりませんでした。
でも、なんとなく
このあたりからだったのかな、って
そんな気がしてきませんか?

ちなみに、私はこの言葉、好きではありません。
もめ事の種になるからとか、飲むときはもっと楽しい話題で、とか色々理由はあるんでしょうけど
それって「話題選びが悪いんじゃないんじゃない?」って思います。
大人なんだからさぁって
まあ、そう考える人がいるのは別にいいんだけど、それが常識みたいな風潮には賛同いたしかねる😤
と、思ってます。
それはともかく…そんな世の中の空気感と
マナーというぺらっとした価値観とのダブルパンチで
映画館からもあの頃の「無邪気な熱量」が
少しずつ引いていったのかもしれません。

なんとももったいないですよね。
だって「無邪気な熱量」ってなんかとっても楽しそう!
空間を共有してるっていう感じがすごく伝わってくるのです。

以前ライブの紹介で、店に一体感をもたらす「音楽のちから」は
われわれ飲食店が持ちえないものだと書いたのだけれど、
あれ、やっぱり撤回しようかなってこれを書いてて思いました。

もちろん話してることはバラバラなんだけど、
空間を共有しているっていう「無邪気な熱量」は店に一体感をもたらし得る。
そんな気がしてきました。

来年はこの店を「無邪気な熱量」でいっぱいにする!

目指せ昭和30年代の映画館!

これが私の2026年の目標です。(個人的には痩せるですが)

それでは皆さま、良いお年を!

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